子どもデザイン教室ブログ
プロフェッショナルじじい宣言
デザイン教室 | 2014.07.01(火) | No Comments
○グラフィックデザイナー、引退
プロのデザイナーになって34年になります。10台の頃は『自分は世界一のデザイナー』と思っているただのバカでした。20台になってデザインの魅力に取り憑かれました。30台になって自分にしかできないデザインがあることに気づきました。
40台になってストックを組み合わせてデザインをするようになりました。と同時に病気になり、生きることの意味や、世の中の役に立つことを考えるようになりました。50台になって30台のデザイナーと勝負しても負けることを知りました。
それより30台のデザイナーを応援した方が面白くなりました。理論に捕らわれ、面白いテクニックが生まれなくなったのでしょう。デザイナーの旬は短いものです。私はグラフィックデザイナーとしては引退を決意しました。
それより子ども、とりわけ親と暮らせない子どもたちを支援した方が、世の中の役に立つことを知りました。そのとき、これからの人生を「ソーシャルデザイナー(社会の枠組みを作るデザイナー)」として生きることを決めました。
○障がい児支援の可能性
今年に入り、役員、スタッフから『しんどい思いをしているのは親と暮らせない子どもたちだけではない』という意見を聞くようになりました。また、具体的に「障がい児通所支援」の提案も受けました。こうした流れは単なる偶然ではないかもしれません。
しかし「障がい児支援をする団体はいくらでもある。でも、親と暮らせない子どもたちの支援をする団体はほとんどない」と思っていました。実のところ、自信がなかっただけだったかもしれません。
7月に入り、子どもデザイン教室のレッスンは現在の二人体制から私だけの一人体制になります。役員、スタッフから不安の声があがります。しかし、子どもが健常の子どもたちなら対応できる自信があります。
子どもデザイン教室のレッスンは現代の社会システムを肯定することが基本ですから、現代の社会システムに適合しづらい障がいの子どもたちはそうはいきません。事実、先週は収拾がつかなくなる事態になりかけました。
○忘れていた大切なこと
そんなとき、今後の練習にと一人でレッスンをしたとき、私は大変なことを思い出しました。それは最近、私は子どもたちにかなり上から目線で接していたことです。だから子どもたちは何をしていいのか分からなくなっていたようです。
思い起こせば活動当初、私は障がいの子どもと接しているとき、私は子どもたちと同じ立場で、同じ目線でいたように思います。だから、あきれ果てたり、怒ったりはしながらも、多動の子とも、ちょいワルの子ともうまくやっていたと思います。
そのときのレッスンで、子どもたちはすっかり私に打ち解けていました。騒ぐことなくしっかり私の話を聞いてくれ、ルールに則り、きちんとレッスンをしてくれました。これは何より私が子どもたちに打ち溶けていた証拠です。
私は忘れていたものを思い出しました。私自身がこんなに子ども心に戻った時間は久しぶりです。幸い障がい児支援の賛同者も現れそうです。今年、子どもデザイン教室は新しい領域に踏み出す準備をするときを迎えたようです。
○プロフェッショナルじじいとは
子どもたちとふざけ会っているとき、ふと私は自分のありようを空想していました。それは「プロフェッショナルじじい」です。プロフェッショナルじじいは、ただのじじいではありません。子どもと同じ目線で、同じ立場ではしゃぎ回るじじいです。
そのなかで子どもたちにデザインの思考や術を伝えつつ、問題解決の作法である「想像する心と対話する心」をマッチ棒のように燃やすじじいです。そして、子どもたちに明日の方向を照らし続けるプロフェッショナルです。
①プロフェッショナルじじいは、①毎日ベストを尽くします。②毎日、自己採点します。③早さ、内容、驚き、信頼性に拘ります。53歳、自分の人生はそう長くはありません。これからのプロフェッショナルじじい・和田隆博にご期待ください。