子どもデザイン教室ブログ
夜会にて
takorockな毎日 | 2015.10.21(水) | No Comments
ふと考えた。それは「考えない」という行為の愚かさ、怖さを。例えば、人をカテゴライズすること。ラベリング理論。いわゆるレッテル貼り。例えば、欧米人とアフリカ人。分かりやすい反面、人は「無意識」に優劣をイメージする。
私が何気ないように使う「里子」という言葉。分かりやすい反面、何とも気持ちの悪い言葉。人には分かりやすくするために使うが、自分の子どもの前では絶対に使わない。「里子」とラベルを貼られた方はたまったものではない。
血が繋がっていようがいまいが「子どもは社会で育てるもの」とノーマライゼーションを唱えつつ、自らカテゴライズしているこの矛盾。その「考えない=無意識」の行為の無頓着さ、無邪気さ。社会階層化のスイッチを自動的に入れている。
ー昨夜、夜会にてある人にそんなことを教えてもらった。誰にも話せないことも話せる人に。会うたびに深く、深く、深く感謝する。この人と巡り会えた偶然と幸運に。この人と巡り会っていなかったら、今の自分は間違いなく、いない。