子どもデザイン教室ブログ
里親と里子の齟齬について
サポートホーム | 2013.03.05(火) | No Comments
里親と里子の齟齬について書きます。
子どもさんは里親宅に引き取られた瞬間から、それまでの「あるべきはずだった暮らし」を失います。子どもに責任はなく、まさに青天の霹靂です。そこから里親宅での「まったく異なる文化の暮らし」が始まります。
一方、里親はそれまでの暮らしぶりが「まったく分からない子どもとの暮らし」を突然始めないといけません。これでは噛み合うはずがありません。実子との関係がうまくいくのは、共有できる歴史、文化、風景があるからです。
里親と里子が良好な関係を築くには、この「共有できる何か」を見つけることが大切です。好きな食べ物でも遊びでも、子どもが「安心できる何か」を探してあげることです。幸い私は絵がかけるので、アンパンマンなどを描いてあげると、子どもとの距離はグッと縮まります。
ところで、問題とは受取手がそれを問題と捉えるから問題になります。もし、受取手がもの凄く鈍感なら問題は発生しません。子どもが何か問題を起こした場合、そこには必ず何か背景があり、そのほとんどが「本人のそれまでの環境との差違」に起因します。
私のケースではありませんが、子どもがじんわり床に水をこぼしたとしても、その問題と思われる行動の背景、例えば、赤の他人の世話にならなければならない「子どもにとっての理不尽さ」に思いを馳せると、問題は問題でなくなります。
私はまだまだ駆け出しの里親ですが、里親さんの中には子どもさんとの「今」にばかり目を向けて、子どもさんのこれまでの暮らしぶりや、子どもさんの「本来ならあるべきはずだった暮らし」に目が向いていない場合があると思います。
私がお預かりしているお子さんはそうではありませんが、子どもさんの中には育児放棄などが原因で、お風呂やトイレなど、当然と思われる日常の習慣さえ知らないお子さんがいると聞きます。
ただ、誤解してほしくないのが実親の存在です。大切な我が子をどこの誰かも分からない他人に預けるからには、やむにやまれぬ事情があるのです。みな本当は自分で育てたい。でもできない。ほとんどの場合、仕方なくそうしていることを理解してほしいと思います。
子どもの「できないことを指摘する」のは誰にでもできます。でも、 子どもの「できることを発見する」ことは案外難しいものです。これは関係が近いとなおさらで、私は子どもの「できることを見つける専門家」になりたいと思っています。
でもこれは、里親に限った話ではありませんね。