【提言】子どもの権利、意見表明と今後の子どもデザイン教室

今後の子どもデザイン教室について

 

皆様こんにちは。去る7月4日㊏、第1回子どもデザイン教室理事会を開催しました。その際、子どもの権利、子どもの意見表明を踏まえた今後の子どもデザイン教室のあり方について話合いをしました。おとなが社会で共有すべきとても重要な課題と思いますので、ご一読いただければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

日時:7月4日㊏14時30分~16時30分

出席:和田隆博・西井廉剛・林田全弘・伊藤嘉余子・山本悦二・井上翔一・島津侑花・船越哲子・辻尾 緑

場所:子どもデザイン教室+オンライン会議

 

⑴ 対話デザインレッスン

・来年度より子どもの生涯を通しての資本となる「対話力」の育成をレッスンの主軸にする。

 

和田:毎年レッスンの方針を決めるのが遅く、新年度の立ち上げに苦慮する。そこで今年度は今から来年度のレッスンの方向性を協議したい。まず初めになぜ対話力の育成に主軸を置かなければならないのか、その理由を説明する。

 

⑵ 意見を我慢する子ども

千葉県の「子どもの権利・参画のための研究会」が2007年に行った「子どもの意識・実態調査」に、子どもの意見表明と親の傾聴姿勢についての質問がある。そのなかで、「(子どもに対して)あなたは家庭や学校で言いたいことを我慢することがありますか」という質問に対して、「よくある/たまにある」の回答は82%であった。これに対して、「(おとなに対して)あなたは普段、子どもの意見を聞くようにしていますか」の質問に対して、「よく聞いている/少しは聞いている」が99%であった。 

 

和田:このことから言えるのは、おとなは子どもの意見を聞いているつもりだが、実はほとんどの子どもが自分の意見をよく、あるいはたまに我慢している状況が浮かぶ。私自身にも経験があるが、子どもに対して頭ごなしに物事を禁止することがあった。しかし、子どもは自分の思い通りにしたかったのではなく、「自分の気持ちに寄り添って欲しかっただけ」ということがあった。おとなと子どもは果たして対等な対話をしているのだろうか?それが私のテーマになっている。

 

⑶ 対話の定義

・文献:生田周二(2019)「子ども・若者支援における対話の一考察」(奈良教育大学)より

・基本的に一対一の対等な人間関係を踏まえている[人としての尊重]。

・双方から話を往復させ、応答のある共感的関係を基本とする[応答性]。

・性急に結論を求めることをせず、「不確実性への耐性」を持つ[寛容]。

・以上のやりとりを通して、内なる感情や思いを言葉にし、そのことを通して自らの感情や思いを自分で確認する[自己の存在アイデンティティーの再構築]。

 

和田:奈良教育大学の生田氏の文献によると、対話とは、対等で、互いに話を往復させ、共感的で、急がず、自分自身との対話も含めて対話であると定義する。ただし、対話の定義は沢山あるので、今後共通する対話の定義を研究しなければならない。

 

⑷ 子どもの権利条約

・子どもの権利条約は1989年に国連で採択され、1994年、日本でも批准された。

・子どもの権利条約 第12条 意見を表す権利「子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、じゅうぶん考慮されなければなりません。」

 

伊藤:年齢に関わらず、すべての子どもたちに権利がある。おとなにはそれを聞く義務がある。現在、各自治体では子どもの意見を聞く仕組みを作ろうとする流れにある。

 

⑸ 子どもの権利条約にまつわる考察

文献:荒牧重人(2017)「国連・子どもの権利条約と児童福祉法 2016年改正」(山梨学院大学)より

 

① なぜ、子どもの権利という視点が大切なのか?

・子どもは権利の享有・行使の主体であり、その権利は不可分である。

・育てる=育てられる、教える=教えられる、支援=被支援など、一方的な関係にしない。

 

伊藤:子どもには市民としての能動的な権利と守られる権利、愛される権利という受動的な権利の両方が保障される権利がある。「愛してもらう、~してもらう」など、弱者としての子どもではなく、おとなと対等な立場と意見をいう子どもの権利が近年、改めて強調されている。

 

② 子どもの権利をめぐって「主張」されることとその問題点

・子どもの権利を言うと、子どもはますますわがままになる、甘やかしにつながる。

・言うことを聞かない、しつけ・教育ができない、園・学校・社会の秩序が保てない。

→子どもをめぐる否定的な現状を子どもの権利に責任転嫁している。

→おとなは子どもに子どもの権利を伝えていない。

 

伊藤:権利を教えるのではなく、規律を教えるという流れが教育現場にあったが、権利があることを伝えている。社会的養護の現場では、子どもの権利ノートを配付している。権利ノートには嫌なことがあったら言える、第三者の公的機関に言うことが出来ることが書かれている。しかし、自治体によって対応が違う。子どもが意見が言える、権利が主張できることを子どもたちに伝えている。

 

・子どもの権利も大切だが、義務も、責任も大切。義務や責任を果たしてから権利を!

→子どもの権利に対応する義務は、それを保障する義務であって、それは国・自治体・保育士・教職員、親などが負う。

 

伊藤:子どもには義務がないことを浸透させる必要がある。義務教育は教育を受ける権利が子どもにあるのであって、保護者は自分の子どもに教育を受けさせる義務がある。未成年には義務がない。納税は20歳を過ぎてからである。しかし、日本の民法には親子関係が規定されている。日本社会の中に親の面倒をみるのは子どもという文脈がある。ほかにも子どもがバイトするかどうかを許可する職業許可権がおとなにある。子どもの権利条約との関係をどう解釈するのか?親子関係の課題の一つである。

 

辻尾:商品をデザインするレッスンで、「こういうものを作りたい」というレッスンがあった時に、子どもたちが思い描いているものを私たちにどう伝えていいのかわからず、諦めている場合があった。時間も限られていてスタッフが進めていく場面もあった。そういう部分を今後検討していかないといけない。

 

井上:対話レッスンは保護者のニーズがあると思う。しかし、子ども自身に興味がなければいけない。バランスをとり、子どもに創作の楽しさがないといけない。「遊びながら学ぶレッスン」を体現していけるようにスタッフが議論を重ねていきたい。

 

船越:親子で義務教育について話をしたところ、子どもに「私には教育を受ける義務はないよね」と言われた。親に教育を受けさせる義務があるからといって、それを子どもに押し付けてしまえば、子どもに義務を課したことになると知らされた。

 

西井:意見を伝えることはおとなになっても必要なこと。小さい頃から対話力をレッスンで身につける対話デザインレッスンは絶対にするべきである。

 

山本:子どもに義務はないということで考えた。信頼、約束、ルール、けじめが大事である。義務はないが、それらが義務に近いものとして必要であると感じた。

 

伊藤:国際的にみたときにユネスコ学習権がある。すべての人間が読み書きできる学習の権利がある。識字率の問題。

 

伊藤:社会人になって困らないためのスキル、ルールをおとなは子どもに教える義務がある。子どもがルールを守る義務があるのではない。なぜなら子どもは生まれつきルールを知らないからだ。ルールを守って暮らす練習をするチャンスを与える義務がおとなにはある。それを教えないとネグレクトになる。必要なことをきっちり伝えていかないといけない。

 

西井:世の中のおとなは子どもは学校に行く、勉強をする義務があるという風に誤解している。義務がおとな側にあるという認識は世の中に浸透していない。間違った義務の使い方は軌道修正していかないと。

 

伊藤:義務はおとなにある。必要な教育を受けさせる義務がおとなにある。おとな向けのセミナー、啓発、講演会が必要。教育を受けている子どもたちがそういう認識ができるように道徳社会科いろんな授業の中でそういう話をしていけなければいけない。

 

井上:教員側に「義務はおとな側にある」という義務教育の正しい認識はある。しかし、親側に教育のすべてを学校に求める場合がある。義務教育は、あくまでは「学校教育」であって、学校が教育のすべてを受け入れている訳ではない。フランスの保育基本法に「学校が教育を独占してはいけない」という言葉がある。教育は社会、地域、家庭、おとな全員がすべきことである。その義務権利を学校に集約するのはおかしい。

 

③ 条約を理解する上でとくに大切なこと

・生まれる環境を選べない子どもが一人の人間として成長・自立していくために必要な権利。

・権利の主体としての子ども観。

 

④ 子どもの意見表明・参加

・日本社会、とくに学校における子どもの意見表明・参加をめぐる現状。

・子どもの参加を阻む社会の伝統的な意識、制度や場・機会の不足「同調圧力」。

・とくに教師と子どもの関係、教師の「教育観」「指導観」を含む旧来の「学校文化」。

・「めんどうくさい、どうせ変わらない、どうしたらよいか分からない」などの子どもの意識。

 

伊藤:私の専門が社会的養護なので、児童養護施設の子どもに60人~70人毎年にアンケートをとっている。そのなかで、「施設の職員は子どもの声を聞いてはくれるが、意見は聞いてくれない」「仕事だから形だけ話を聞いてくれる」「聞くだけでそれが具体的な施設のルールが変えるとか、子どもの希望が叶うとかはしない」「言っても無駄だから言わない」という意見がある。意見を聞いてもらえる経験がなかったり、選択の機会がなかったり、意見を言うメリットを感じたりしないと、意見が言えない子になる。日常生活の小さい所から子どもに何かを選んでもらうなど、子どもに意見を聞く機会を親、教師、施設職員、おとなが意識して作らないといけない。

 

・特に教師と子どもの関係、教師の「教育観」「指導観」を含む旧来の「学校文化」

 

井上:教育の現場では、耳では聞いているが、子どもの意見を同列に扱っていないことがある。「立場は違っている」といった旧態依然とした考えがある。「教員の言っていることをどれだけ聞けているか」が学習評価に繋がる仕組みになっている。「主体的かつ対話的にやっていこう」という機運はあるが、均一な公教育が求められているなかで、進めずにいる現状がある。

 

林田:沖縄市での子どもの実態調査をみた。子ども視点の街づくりを子どもに聞くアンケートがあった。その中に「周りの人に何が出来るか」という質問があった。子どもという与えられる立場ではなく、子どもも他の人を支援したり、役に立つことができる。自分にも権利があることを知れば、自分の力が他の人の役に立つことができる。これはまさしく「こどキャラ」である。自分の力が他の子の幸せに繋がってくる。「こどキャラ」は面白い取り組みであり、子どもの権利にも繋がっている。

 

〈参考〉沖縄市こどもの実態調査報告書

https://www.city.okinawa.okinawa.jp/kurashi/115/23467

〈参考〉「こどキャラ」とは親と暮らせない子どもたちとプロのデザイナーが共作したキャラクターを、企業に販売することで子どもたちの学習資金と自立資金を貯める支援の仕組み。

https://www.c0d0e.com/kodochara/kodocharacase.html

 

⑤ 権利としての参加の位置づけ・認識

・求められていることは、子どもの意見を尊重することであって、言いなりになることではない。

・プロセスとコミュニケーションが大切である。

 

⑥ 参加の制度・仕組みづくり

・子どもの参加の制度・仕組みや機会がない(作りたがらない)現実の壁。

・子ども自身が使える、特に決定過程に関わることのできる制度・仕組みが必要。

 

和田:子どもサポートホームでも、子どもが主体的にルールを決める機会を設けたいと思う。

 

⑦ 子どもの権利の広報・普及

・子どもの想像力や創造力を「活かした」子どもの権利教育・学習を。

・もっと子どもの生活に根ざし、子どもの「言葉」で遊びや活動のなかで、学校では教科を越えて子どもどうしが「学び合う」ことの重要性とその支援が必要。

〈注釈〉想像力と創造力の違い。想像力は見たり聞いたりできない不完全な状況を考えて補う能力。創造力は独自の考え方で表現したり、行動を起こしたりする能力。

 

⑸ 対話デザインレッスンの重要性

・子どもの意見表明を支援する対話レッスンの開発と実施、啓発。

・創作レッスン・商品レッスン・対話レッスン→創造+対話レッスン 初級・中級・上級

・子ども向けの「語る」を支援するレッスン

・おとな向けの「聞く」を支援するレッスン

 

和田:提言だが、以上のことから、来年度の子どもデザイン教室は「対話力」を主軸に据えたレッスンを実施したい。創作活動は子どもが楽しめるための道具立てである。例えば、一昨年に実施した絵本作りなどがその好例である。子どもは絵本を作っているつもりであるが、実は子どもが自分の想いを読む人に伝えるというまさに対話のレッスンであった。そうしたレッスンをこれからも開発し、実践していきたい。

 

和田:今後の大きな方向として、子ども向けの「語る」を支援するレッスンを主軸にすると共に、おとな向けの「聞く」を支援するレッスンもしていきたい。

 

辻尾:レッスンをしていると、家での親の対話力の大切さに気付く。子どもの気持ちに親がうまく返せている場合もあれば、そうでない場合もある。おとなの対話力が大切と思う。親がうまく、瞬時に返せる姿勢が必要。対話デザインレッスンに共感する。

 

林田:素晴らしい方向性と思う。報告書でも、ホームページでもこうした子どもデザイン教室の考え方を児童養護施設に伝えていきたい。児童養護施設でなぜ対話力を育むことが求められているのか、そこにはなぜ寄附が必要なのか、をヤフー募金に掲載するとよい。

 

伊藤:対話はレベルが高い。何でも言語化できる子どもはいない。それは能力、年齢、特性の問題だ。口で説明できる子どもばかりではない。どんな子どもでも、どんな形でも自分の意見、気持ちが表現してもいいのだ、作品に描いてもいいし、文章で書いてもいいのだ。「こどキャラ」もその一つ、絵本もその一つ。どのレッスンでも作品に自分の想いが載せられるとよい。子どもの権利条約でいう意見表明は、論理的な意見だけを保証するものではない。「辛い、しんどい」などのその時の感情の表明でもよい。対話力はとても大事だが、対話が苦手な子にも別の表現の仕方がある、どのレッスンでも自分を表現することができるといった方向性、理念があるとよい。

 

井上:おとな向けのレッスンについて。京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)子ども芸術学科に子ども芸術大学があった。現在は内容が変わっているようだが、子どもと親が一緒に並走して受けるプログラムがあった。子どもデザイン教室でも、例えば、子どもたちが受けているレッスンを「こういう風にしてる」と親に届けていけるようなリソースがあればいい。こういう風に考えて欲しい、伝えて欲しいという想いを家に持ち帰れて、コミニケーションを取る場がより有機的になるとよいと思う。レッスンを毎回Zoomで保護者限定で配信するのもよい。家事をしながら見るとか。月一回の保護者向けの説明会をしていくなども考えられる。それらは家庭という子どもたちにとって大きいベースになるところに効いてくると思う。

 

和田:今年から、子どもたちが記入した振り返り用紙を親へ返すようにしている。親に説明できるように具体的に内容や感情を理由をつけて書いてもらうようにしている。

 

西井:今日の理事会の話をホームページに掲載するなど、活かしていくたい。

 

和田:今回の理事会はシンポジウムのようでよかった。Zoomは皆が集まれるのでよい。次回もZoomを活用した理事会にしたい。皆さん、ありがとうございました。