子どもデザイン教室ブログ
鈴虫とお彼岸に想う。
takorockな毎日 | 2016.09.22(木) | No Comments
卵を産み終えた鈴虫がすっかり衰え、まもなく土に還ろうとしています。この春、卵から孵えり、ひたすら食べて生きて、また卵を産むの繰り返し。ふと、そんな鈴虫に想います。生きものは、自らが生きるために生きるのか、世代を繋ぐために生きるのか?
お彼岸。代替わりで私が法要に。当代の責任を感じます。前日、夢枕に亡き父が立ち、何を話したか、思い出そうにも思い出せません。まるで「君の名は」。傘を忘れたのに、法要の前は曇り、法要中は雨、法要が終わると晴れ間。ご先祖様のお計らいでしょうか?
私の代で年忌法要は辞めようとも思いましたが、亡き父母の次の法要は何年か探し始めました。生きものは死なない、永遠に生き続けると確信します。私たちが目や肌で感じる「今、生きている」というその意識は、命宿るときにだけ感じる触覚のようなものだと。
鈴虫は卵を介して生き続け、人は子育てを介して生き続けます。さすると実子の子育てが終わった私はいつお浄土に還ってもいいはず。おまけの人生。里親として子育てをしていると、親父に「もう少しそちらで頑張れ」と言われているような気がします。